[コラム]書籍「遊びが学びに欠かせないわけ〜自立した学び手を育てる」のご紹介2(代表理事 安田光一)

学びと遊びと勉強・・・この三つの言葉でイメージするものを思い浮かべてください。あなたは、この三つの関係は どのようなものだと考えますか?

下の図は、先月から紹介を始めた書籍「遊びが学びに欠かせないわけ〜自立した学び手を育てる」の翻訳・紹介者である吉田新一郎さんが、この本に出合う15~6年も前に中学生を対象にして描いてもらった図の中から、5つを例示したものだそうです。「もしあなたが描くとしたら、どのような図になりますか?」と吉田さんは問いかけています。そして「この図は、固定化したものではなく、年齢や経験と共に変わりますし、本書を読むだけでも変わるかもしれません。(代表理事 安田光一)

昔から、よく学び よく遊べ、と言われます。そして、しっかり勉強しなさいとも言われます。でも、学びと、遊びと、勉強はどのような関係にあるのでしょうか?深く考えたことはないかもしれませんが、改めて問いかけてみませんか?この本の紹介を更に続けます。

<第1章 最愛の息子が学校を拒否!>
最愛の息子が学校を拒否したところから、この本は始まっています。そして、息子が自分のしたいことができる学校を探し出して、そこに通わせることになります。それは、ほとんど学校とはいえないような学校です。その学校については本書の第5章で詳しく紹介されています。この学校に通うことになった息子の成長を見て著者は、そもそも学校とは何か?という疑問を持ち、さまざまな角度から研究を深めました。

その一つが、文化人類学者を訪ねて、人類の歴史という大きな枠組みの中で、学びと遊びと勉強の問題を探求していったことです。人類は狩猟採集民であった時間が99%であり、近代的な学校のシステムができてからは、わずか1%にも満たないことに気付くのです。

おもしろ科学たんけん工房は自立した学び手を育てたいという願いをもって設立されました。私たちのリーフレットにはこう記されています。
「科学する楽しさと、手作りで何かを完成させる喜びを身体で感じてほしい。遊びながら学ぶ環境の中でドキドキしたり、ふしぎさを発見したり自分から積極的に探求し自分で考える習慣を身につける、そんなことができるような時間と場所を作り出したいと私たちは考えています。」

つまり、私達も「遊び」と「学び」は深い関わりがあると考えていました。しかし、なぜか?は理解していませんでした。この本は、そこを解き明かしてくれています。

<第2章 狩猟採集民の子どもたちは遊びでいっぱいだった>
著者ピーター・グレイは、最愛の息子のために、ようやく見つけた学校(およそ今までの学校のイメージとは正反対なやり方をしている「学校」)のことを高く評価することになります。その「学校」を息子が、気に入り、そこで目覚ましく成長する姿をみて、本来あるべき学校とは、このような「学校」ではないのか?・・・と考えるようになります。第5章でこの「学校」のことを詳しく紹介しています。

しかし、著者は、その前に第2章で、「狩猟採集民」に関する文化人類学者の研究報告から、この「学校」で行われている生活のあり様や学びの姿が、狩猟採集民の生活や文化・教育のあり方に、極めて類似していることに気づきます。この章で狩猟採集民のことを具体的に記述しています。その要点は下記の①〜④ような内容です。人類の歴史の99%は狩猟採集民だった。人類の歴史を100万年とすればそのうちの99万年を、人は狩猟採集民として過ごして来ました。

農業が西アジアの肥沃な三日月地帯に出現したのは、わずか1万年前のことです。だから、私たち人類の生物学的なからだは、狩猟採集民としての、生活様式や環境に適応するように進化したという意味で、遺伝子学的には私たちはみな狩猟採集民なのだ、とピーター・グレイは言います。

①断固とした平等主義と自立性の重視
彼らの核となる社会的価値は「自立」「共有」「平等」です。近代的な民主的社会に生きる私たちもこれらに価値を置きますが、狩猟採集民のこれらに対する重さの置き方は、私たちのものとは比べものになりません。子どもを含めて誰もが、毎日何をするかは自分の判断で決めます。狩猟採集民の集団(バンド)には、「えらい人」や族長(集団の行動を決めるリーダー)は居ません。名目上のリーダーがいる所もありますが、バンド全体に影響を与える決定は、グループ全体の話し合いで決まります。男性だけでなく女性も、時には子どもも自分の意見を主張することができます。

②寛大さと信頼にあふれた子育て
狩猟採集民の社会で、子育てと教育観の中心となる信条は
◉子どもの生まれ持った才能を信じる
◉本人の意思に従って行動できるようにすれば、子どもは学ぶべきことを自ら学ぶ
◉子どもがスキルを身につけ、十分に成熟した段階で、子どもは自然にバンドの経済的活動に貢献し始めるというものです。(事例を省略せざるを得ないのが残念・安田)

③社会的なスキルと価値を学ぶのは、子どもたちだけで無制限に「遊」ぶ時間
狩猟採集民の子どもは幅広い年齢の子がいるグループの中で、常に遊んでいます。その遊びは、競争的な部分は弱く、互いに育て合う部分が強いのです。(具体的な面白い事例紹介は、やむを得ず省略します・安田)

狩猟採集民の大人たちは、子どもたちにこのような遊びの時間を無制限に与えることで、子どもたちに、社会的スキルと価値感、協力すること、互いのニーズを思いやる事、みんなが合意できる意思決定をすることなどの「継続的な練習」をさせているのです。

④狩猟採集民の子どもは、部分的でなく広範囲に、集約的にスキルと知識を身につける
狩猟採集民の社会は、「単純」なので、子どもたちは、私たちの子どもよりも学ぶことが少ないと考えることは誤りです。狩猟採集の生活は職業の専門分化がほとんどないので、一人ひとりの子どもは自分たちの文化の、ほとんどすべてを身につけなければなりません。「狩り」は膨大な知識とスキルを必要とします。

狩猟採集民の男は(女も狩猟をする集団があります!)200~300種類の哺乳動物と鳥の習性について膨大な知識を持っています。植物性の食料の採集でも、同じようにたくさんの知識とスキルが必要です。ピーター・グレイは、文化人類学者からの聞き取りから書いています。「もっともすぐれたハンターは30代、40代あるいはそれ以上に、高齢な者です。狩猟採集民の子どもたちは、男の子も、女の子も、たくさんの追跡や狩りの遊びに膨大な時間を費やす必要があるのです」

<第3章 学校教育の歴史>
「なるほど、あなたが書いていることは狩猟採集民にとってはいいかもしれませんが、私たちの社会の子どもたちの教育と一体どんな関係があるのですか?」という読者の批判が聞えてきそうです。

著者は続けます。
とても良い質問です。私たちの子どもは、狩猟採集民の子どもが学んでいるよりも多くのことを学ぶ必要はないかもしれません。しかし、確実に言えることは、私たちの子どもは、狩猟採集民の子どもと違うことを学ぶ必要があるということです。私たちの社会は狩猟採集民の社会よりも、はるかに、多様性があり複雑です。

しかし、ぜひ、読み進めてください。狩猟採集民的な学び方は、私たちの社会の教育にとっても、十分に有用であることを紹介して行きます。その前に現行の極めて強制的な学校制度の由来を理解することを目的にした短い歴史を紹介させてください。誰の必要から、今のような学校は出来たのか?そして、強制された教育制度の罪へと進みます。(続く)

遊びが学びに欠かせないわけ(自立した学び手を育てる)
・ピーター・グレイ(ボストンカレッジ心理学教授)著 吉田新一郎訳
・築地書館 定価:本体2400円+税
・2018年4月18日初版発行

⇒ [コラム]書籍「遊びが学びに欠かせないわけ〜自立した学び手を育てる」のご紹介3
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