[コラム]かんたんおもちゃとカンボジアの子どもたち(2018.2 島田 祥生)
「これ持って、カンボジアに行きませんか。」
現役時代の、気の合った仲間の集まりで、リング状のマグネットにちょっと拵えものを施し、針金に通すと、おもしろい動きをする「かんたんおもちゃ:名付けて、フラッターリング」を紹介した時の、仲間の一人からのお誘いでした。聞けば、内戦収束後も、政府の復興の手がいきわたらない、タイ国境に近い貧困地区の支援活動を行っている組織を日本から支援しているグループが、毎年実情把握のため出向いているとのこと。心が動きました。
普通のことでは行けるところではない。子どもたちがどのような反応をするか。などなど。ちょっと怖い気もしましたが、興味が先に立ち参加させてもらうことにしました。これは、その体験記です。カンボジアの、特に、身体に、経済的に、ハンディーを負っている子どもたち、およびその家族の生活の実態なども織り交ぜてみました。みなさんが、カンボジアをより身近に感じていただければ幸いです。
■ カンボジア国民の受難の歴史―戦争
1969年、南ベトナムを支援していた米軍が、北ベトナムからの補給路をたたくため、カンボジアを民衆ごと爆撃しました。多くの難民と、当地には多量の不発弾が残りました。
1970年に、親米のロンノル軍がクーデターを起こします。その後、クメールルージュというジャングルゲリラが台頭し、そのリーダーがポル・ポトです。
1975年、米軍が南ベトナムから撤退し、ポル・ポト軍が首都のプノンペンに凱旋します。ポル・ポトは、首都プノンペンの住民に、3日以内に田舎(農地)への退去を命じます。
そのあとはご存知の通りの大虐殺。当時の人口1千万人のうち300万人が言語を絶するようなむごい方法で殺されたと聞いています。特に、医者、先生、法律家などいわゆる知識層の人々は拷問の末に殆ど根絶やしとなりました。ポル・ポトもフランスに留学したというのに、なぜ?
プノンペンには、虐殺の跡や博物館があります。博物館は立派な4階建ての高校跡。いまでも、まだまだ知識層の回復は進んでいないようです。その後も内戦が続き、その折、タイとの国境近くに、膨大な地雷が撒かれました。パリ協定により内戦が終結したのが27年前。国連とともに、イエズス会が支援に入りました。
■ 子どもたちとの交流
ハンディーを負った子どもたち。彼らに、かんたんおもちゃを通しての支援ができるものなのか、組み立てから楽しんでもらえるのか、完成品で動きを工夫してもらえるのか。とにかく部品を持って行ってその感触を探ってみたい。視覚や聴覚にハンディーのある子どもたちにも楽しんでもらえるように、いくつかのアイテムを用意しました。部品からではなく、完成品をプレゼントしようと、急遽、夜中に、ホテルで参加メンバーに組み立て作業をお願いもしました。
用意したのは、前出の「フラッターリング」、太いストローに吹き口を細工し、ピストンを出し入れして演奏ができる「ストロートロンボーン」、ストローの蛇腹部分を割りばしに差し込み、それをこすって先についたプロペラを回す「カリカリトンボ」、牛乳パックをリボン状にして羽根に、ストローを軸にした、竹とんぼならぬ「ストロートンボ」。殆ど、百均で手に入るか、使用済みのものを使っています。
■ プノンペンの「障がいのある子どもの家」
ここは、視覚、聴覚など身体に障害があり、貧しさゆえに親から見捨てられたりした子どもたち30人ほどが共同生活をしています。感謝と互助の気持ちをしっかり持ったすがすがしい子どもたちでした。ここでは、組み立てからは難しいと分かり、完成品のフラッターリング、カリカリトンボ、ストロートロンボーンをプレゼント。フラッターリングは、本当に不思議そう。耳が不自由な子はカリカリトンボの羽根を勢い良く回し得意顔。目にハンディーのある子もストロートロンボーンで”さくらさくら”を演奏してくれたり・・・。そのあとの昼食の懇談中もおもちゃを放しませんでした。ここは、概ね中学終了までで、そのあとは社会に出なければなりません。
■ シソポンから50㎞ 自転車とスカラシップ(米)の提供を受けている娘
この家族は、父親が、貧しさゆえにタイに逃げ、母親は病身で働くことはおろか歩くのもようやっとの状態。彼女は、9学年(中3)で、学校から帰ると料理など家事一切。日曜は日当4ドル弱のキャッサバ収穫に出ている。学校の成績はトップクラスで、将来は警官になりたいとのこと。でも、中学出ではその道も閉ざされているようです。ノートを見せてもらいました。ものすごくきれいな字で、数学と理科が整理されていて、頭の良さがわかりました。カリカリトンボは、はにかみながらトライしてくれました。
■ 家を提供した家庭(とられる可能性があるので土地の所有権がないと家支援はしないそうです)
小さい子がストロートンボを上手に飛ばしてくれました。そのうちお兄ちゃんが学校から帰ってきたので、カリカリトンボを。仲良く交換しながら、とても大事そうに扱っていたのが印象的です。この家族は、古い家が壊れ、自分の土地もないため、知り合いから土地をもらい、そこにJSC(Jesuit Service Cambodia:NGO※)のシソポン事務所から家の提供を受けました。高床式一間のトタン張りの家は建築費15万円ほど。この資金は、東京の今回のツアーの主催団体「かんぼれん:カンボジアの友と連帯する会※」の援助資金から出ています。かんぼれんの援助額は、年間200万円ちょっとで、JSCシソポン事務所の事業費の大半を賄っています。
■ タイ国境近く、昨日もトラが出たという
家の提供を受けた家族です。父親は、4度も地雷で右足を負傷。収入源は、農業の手伝い。農地を持っていません。タイ国境の山を望むこの地は、10年前まで豊かな森が広がっていたのが、中国とタイの業者が来て、皆伐してしまったとか。政府に利用され、置き去りにされた悲劇です。時々タイ兵が山の上から狙撃するとのこと。タイとの紛争の休戦地域でもあります。昨日は、虎と象がタイ側から来たとか。地雷の除去も進んでいないため、開墾もできないようです。4年生の子にフラッターリングをプレゼント。興味深そうに、何度も何度も、ひっくり返して見つめていました。彼のノートです。彼もまたきれいな字で整理された書き方。応援したくなりました。
■ 悪路を1時間余り Boss thom school
3つの村から通学している子どもたち。遠い子は片道10㎞とか。12台の自転車がプレゼントされています。成績が悪いと援助停止になるので、必死に勉強しているとか。この学校は、以前村民の力で木造の教室を作ったのですが、雨季の洪水で使えなくなり、JSCが他のNGOに頼んでコンクリート製の校舎を建設。児童360人余りの小学校で、最近幼稚園も併設したそうです。児童総出で出迎えられ、ちょっと気恥しい思いがしました。皆、たいへん礼儀が正しく、気持ちの良い子どもたちでした。 「校長先生が一生懸命やると道は開ける」今回の、ツアーのリーダーの言葉です。
自転車支援の子どもたちに、カリカリトンボをプレゼント。すぐ勢いよくまわせるようになった子の得意顔は、日本の子どもと同じ、いやそれ以上に輝いていました。12人の先生にフラッターリングをお渡ししました。不思議な動きに本当に楽しそうでした。クラスに持ちかえって、子どもたちと楽しんでくれそうでした。カリカリトンボも、昨夜「ホテル工房」で沢山組み立てていたのですが、全員にいきわたる数ではなかったので諦めました。いくつかずつクラスに提供すればよかったなと、これは帰路の悪路「マッサージロード」で気づいたことで、たいへん心残りです。
シエムレアプのJSCで、チャンナレットさんご一家と出会いました。フラッターリングをご家族にいくつかプレゼント。地雷の被害者ながら、底抜けに明るい前向きの方。ICBL(地雷禁止国際キャンペーン)のメンバーでノーベル平和賞の授賞式に出席されたとのこと。
シエムレアプのJSCの敷地内にある、宿泊施設にご厄介になりました。JSCシエムレアプ事務所の運営経費は、この宿泊料で賄えているとか。因みに1泊朝食付で7ドルです。前出のチャンナレットさんご一家もかつてこの敷地内に住んでいました。
そうそう、シソポンのJSC事務所のスタッフのみなさん7名にもかんたんおもちゃをプレゼント。遠くの村々を毎日のように走り回っている中での、ちょっとした息抜きになればいいなと思っています。
■ 今回のツアーの感想です:
直接見るのはやっぱり違う、行ってよかった。知的で密度が高いツアーで貴重な体験ができました。子どもたちの目が、ものすごく澄んで輝いていました。現地のスタッフのみなさんの難しい課題にいつも明るく取り組んでいる様子に感服しました。お蔭様で、同行のみなさんと楽しいリレーションができました。
■ 私の宿題です:
今回は、状況がよくわからず、十分な準備ができなかったきらいがあります。当地の子どもたちに、いや、大人にも、かんたんおもちゃが役立ちそう。アイテムは?直接または間接的に、この活動にお役に立てることは何か。
今回のツアーで出会ったカンボジアのみなさん、JSCのみなさん、ツアー引率およびご一緒した皆さん、そして今回の参加を勧めてくれた飲み仲間。みなさんに感謝いたします。
本当に楽しく、意義深い経験でした。ありがとうございました。
(島田 祥生さん 2018.2.15)
【カンボジア】
・ベトナム・ラオス・タイに国境を接し、面積18.1万平方キロ(日本は37.8万平方キロ)
・熱帯気候で、年中高温 雨季と乾季がある
・人口:1,469万人
・首都:プノンペン(人口132.5万人)
・アクセス:成田―プノンペンにANAの直行便(約6時間半)
・日本との時差:2時間
・シエムレアプ:プノンペンから空路約1時間、アンコールワット・アンコールトムの入り口
・シソボン:シエムレアプの西方 車で約1時間半、タイとの交通路で、急激に発展している
・トンレサップ湖は、雨季になると面積が3倍になるとのこと