ものごとの真実を知る努力こそ、人間の喜び!(菊池 誠)

1948年4月に、私は大学の物理を出て国立研究所に就職、その研究室のボスは先輩の物理屋、鳩山道夫さんでした。戦後の宰相鳩山一郎の甥にあたる人、専門の原子物理学に一切こだわらず、心の広い、ユーモアあふれる人柄でした。採用されてしばらくたったある日、昼の休みをテニスで楽しもうとコートに向かおうとした私を、鳩山さんが呼び止め、

『ねえ、菊池君。アメリカの研究所で、結晶の表面に2本の金属針を接近して立てると、それだけで増幅器(アンプ)が出来るって!・・君、この話信じられる?』
最近の女学生のように、私は即座に、

『えっ?ウソー』
と言ったような記憶があります。

テニスをしていても気がそぞろ。午後になってすぐ、私は鳩山さんの部屋に行って、
『結晶の表面で増幅が起こるとすれば基礎物理学に関わる問題です。鳩山さん、この問題の基礎実験を始めたいんですが、いけませんか?』

その時、鳩山さんは、ちょっと悪戯っぽい顔をしました。そして少し間を置いてから
『一つ、条件がある。それさえ君が認めればOKだ。』

じっと顔を見つめている私に、鳩山さんは
『君の実験に使う、細かいコントロールをする実験装置をこの僕に作らせるんなら、良いよ』
そして二人は顔を見合わせて大声で笑いました。

その翌日から、私は実験の計画を立て、鳩山さんは、先端を尖らせた2本のタングステン線を、ネジの組み合わせを利用して、100分の1ミリメートルの間隔で独立に微動する実験セットを作り始めました。こうして、二人は、人間のこの上無い楽しい時間を共有しながら同時に、これはとんでも無い大仕事に立ち向かう事になったと言う事を日に日に学んだのでした。アメリカのベル研究所で、トランジスタが密かに産声をあげ、それを半年の間秘密にしてから発表した情報が、当時の遅い伝達でやっと日本の研究所に届いたのです。実際やってみると、当時日本にある結晶を持ってきたのでは、鳩山さんが作った微動装置を駆使しても増幅現象が現れる筈は無かったのです。その事を知る人は日本にまだ1人も居ませんでした。

トランジスタの原理が解明され、新しい構造のさまざまな新型トランジスタが生れ、やがて1950年代の終りに集積回路(IC)が、それが、LSI,VLSIと進化して、今日の知能的な機械を使う生活スタイルが世界中に定着しました。私は、物ごとの本性を適格に理解する為に様々な工夫を重ねる『実験』のドキドキするような感動をいつも生活の中心に持って生きて来ました。子供が玩具と格闘する姿です。

ですから、10年前に安田さんが、『たんけん工房』のお仕事を始められた事を知った時の、心からの敬意と憧憬と、そして強い期待とを、今でも生き生きと胸の中に描きます。
ご発展を期待しています。(東海大学名誉客員教授 理学博士 菊 池 誠)